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ヤンゴン空港―ミグ21戦闘機が現る。タイ航空TG304便が待機

ブログの更新が進まず、タイのネタはまだまだあるのですが、
まずは衝撃な事を記事にします。

このゴールデンウイークに恒例のタイ旅行をしました。
今年はヤンゴン2泊とバンコク一泊しました。


ヤンゴンからバンコクに戻るTG304便はほぼ定刻通り駐機場を離れました。
誘導路を直角に曲がれば滑走路の地点まできました。
機長の英語のアナウンスが有り、「???、しばらく待ちます。」
「離陸直前で何を待つんだと、少し苛立ちます。」

窓から滑走路を見ていました。
そこに来たのがなんと「ミグ21戦闘機」
ノーズコーンと背びれがあるようなシルエットですぐわかりました。
早速デジカメを用意し、興奮しながらシャッターを押します。

my-y-1

こちらが機内にいながら、1機目が「ガーン」というような甲高い爆音を放ち離陸して行くと、
さらにもう1機が登場です。

my-y-2

my-y-4


拡大してわかることは、2機目は胴体下に白い増槽(追加燃料タンク)を付けていました。
2機共ミサイル等は搭載していないように見えます。
もう少し写りが良かったらいいのですが、旅行用に使う小型デジカメなので
写りがいまいちです。


以下、参考はウイキペディア

ミグ21フィッシュベッド
1960年台にベトナム戦争参戦をしたマッハ2弱の旧ソ連の戦闘機。
Wikipediaによると世界70カ国程で運用された、若しくは現在も運用中。
しかしながら、ミヤンマーはその一覧にはありませんでした。
どこかの中古機のそれをまた譲り受けたとかの機体ではないかと推察します。
Wikipediaの他の資料ではミヤンマーでも運用されている地図資料がありました。
主に東側の諸国がその運用先です。 

ミグ25の話
ベレンコ中尉亡命事件
冷戦時代の1976年(昭和51年)ソビエト連邦軍現役将校ヴィクトル・ベレンコ中尉が、
MiG-25(ミグ25)で日本のレーダー網をかい潜り、函館空港に強制着陸し、亡命を求めた事件。
日本ではそれまでは予算が認められなかった早期警戒機E-2Cの購入もなされた

(唯一のマッハ3級)の超高速戦闘機として恐れられたが、それほどの脅威と呼ぶに値しなかった。
特にそれまで耐熱用のチタニウム合金製と考えられていた機体が、実はステンレス鋼板にすぎなかったこと、
半導体回路ではなく真空管などを多用した電子機器が当時の水準としては著しく時代遅れなことに驚愕し、
対ソ連軍事戦略にも大きな影響を及ぼした。


ミグ21はそれよりももっと古い機体なのです。

迎え撃つタイ王国空軍の主力戦闘機は、

ノースロップF5タイガー(現ノースロップ・グラマン)
ジェネラル・ダイナミクスF16ファイティング・ファルコン
サーブJAS39Cグリペン (スウェーデンのSAAB)
それと、サーブ340AEW(空中早期警戒機)

国情にあった選択ではないでしょうか。
空中早期警戒機も装備し戦力的には問題ありませんが、ヤンゴン-スワンナプームは
チェンマイ-スワンナプームよりも近いです。

ミヤンマー入国にはビザが必要で、$50でネット申請が出来ます。


陸軍戦闘機隊の攻防」(光人社NF文庫)より

昭和19年初頭、陸軍飛行第33戦隊の第3中隊はバンコクにあって、
泰国空軍にたいして九七式戦闘機伝習教育にあたっていた。

の記事があります。

九七式戦闘機は、海軍の「ゼロ戦」とならぶ陸軍の「一式戦・隼」のひとつ前の型式の
戦闘機。

表向きはタイは日本の同盟国でした。
これからも物心共によりよい関係を続けられるよう、一旅行者として訪泰をしたいですね、




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